STORY

立花家の歴史

立花家、400年の物語

立花家、400年の物語

立花宗茂が柳川城主となったのは、今からおよそ400年前のことです。それ以来、立花家は柳川と共に歴史を紡いでまいりました。ここでは立花家400年の歴史のなかでも特に重要な5人の人生と共に柳川と共にあり続けた立花家の歴史を紹介します。

立花宗茂
立花宗茂

立花宗茂 (安土桃山時代)

豊臣秀吉の命を受け、戦国武将立花宗茂が柳川城に入ったのは1587年のことでした。宗茂は九州の大名 大友家の一家臣でしたが、秀吉に武功を認められ大名に取り立てられました。宗茂が優れていたのは戦だけではありません。優れた為政者としての顔も持ちあわせていたため、柳川の人々からの信頼も厚かったようです。

宗茂は関ヶ原の戦いで西軍側についたため、領地を追われることとなります。その後宗茂は浪牢生活を経験しますが、豊臣時代の武功やその人柄を徳川幕府に認められ、柳川藩主として復活を果たします。関ヶ原の戦い以降、領地を追われた後に旧領を回復することのできた大名は、立花宗茂ただひとりです。

立花貞俶 (江戸時代)

江戸時代中期5代藩主立花貞俶は、享保の大飢饉の際、幕府に給金を求めるなど柳川の人々の暮らしに寄り添う優れた藩主でした。貞俶の時代に、柳川城の二の丸から側室や子息たちの住まいを柳川城近くの現在の御花の場所に移し屋敷が建てられたのち、この場所は季節の花々で彩られるようになったことから、「御花畠(ばたけ)」の愛称で親しまれるようになります。それが現在の屋号である「御花」の由来です。

立花寛治
立花寛治

立花寛治 (明治時代)

明治時代、武士の世が終わると立花家は伯爵家になりました。立花家14代当主立花寛治が現在の「御花」の基礎となる邸宅を整備しました。寛治は東京で学んだ農学の知識を活かし、筑後地方の農業振興のために私財で中山農事試験場をつくります。試験場では当時まだ日本に根付いていなかった世界各国から集めたあらゆる果実や野菜の種で試験栽培を行いました。この時にこの試験農場で誕生した野菜が中国の青菜と日本の紫高菜を組み合わせた「高菜(三池高菜)」です。

また、地域社会とのつながりを大切にし、柳川全体の発展のために尽力し続けました。寛治の農業振興への想いは、息子である15代当主鑑徳へと引き継がれ、柳川で原種が発見され、研究していた温州みかん「宮川早生」をさらに普及させる為モデル園として開いたのが今も現存する伯爵家農場(橘香園)です。「宮川早生生温州ミカン」はその後全国大会で優勝、奨励品種となり、料亭の経営がうまくいかない時も御花を守ってくれる存在でありました。

立花文子と和雄
立花文子と和雄

立花文子と和雄 (戦後)

1910年(明治43年)立花伯爵家に生まれた文子は、明治、大正、昭和、平成という歴史のなかでも特に変化の激しい時代を生き抜きました。伯爵家の娘として使用人に囲まれて育ち、24歳で16代当主となる和雄と結婚。皇室の林野管理をおこなう「帝室林野局」で働く和雄の転勤で、北海道や木曽で主婦として暮らします。戦後、旧華族は農地改革 や財産税、相続税で困窮することとなります。立花家当主となった和雄と文子は柳川に戻り、1950年に旧伯爵邸を利用して料亭業を営むことを決意します。料亭旅館「御花」の誕生です。

「お殿様、お姫様が料亭を経営するなんて!」と驚いた柳川の人々。当時、「殿様が料亭に通うことは当たり前じゃが、料亭を経営するとは聞いたこともなか。」「失敗でんすりゃ世の中の笑いものばい。」と、そんな会話で溢れていたそうです。それでも文子は、持ち前の明るさで「なんとかなるわよ。」と和雄を励まし、残ってくれた親戚や使用人、紹介してもらった人々と共に奮闘する日々を過ごしました。

軌道に乗るまでには長い年月を要しましたが、現在の御花は柳川の観光の拠点となり、大名文化を今に伝える文化施設として多くの人々に親しまれています。

そして今

関ヶ原の戦いで領地を手放し、20年後再びこの柳川に戻ってきた初代柳川藩主 立花宗茂。第2次世界大戦後、華族制度が廃止になってもこの御花だけは手放さず、料亭旅館として商いを始めることでこの御花を残した16代和雄と文子。

そんな先祖代々の類まれなる努力といつの世も御花を愛してくださるみなさまのおかげで、約300年経った今でも御花は立花家そして柳川と共にあり続け、今も歴史の途中を歩み続けています。現在はこの掘割に囲まれた全敷地7,000坪が「立花氏庭園」の名称で国の名勝に指定されております。そして、中でも「松濤園」「西洋館」「大広間」「御居間」「家政局(お役間)」「門番詰め所」といった、約100年ほど前の伯爵邸の姿をそのままに留める近代和風建築は、日本に現存する文化財として、今や稀有な存在になりました。

「人、そして文化が今も息づいている」そんな軌跡を振り返ると、100年後の未来にも御花を繋いでいきたいと改めて思います。わたしたちは立花家の物語、歴史そして文化財の魅力を、様々な体験を通して肌で感じて頂けるような場所として、これからもあり続けてまいります。

現代表 立花家18代 立花千月香

100年。その時間は、多くの人の一生より長い時間。御花に関わる人々は、自分がこの世からいなくなっても残り続けるものを、次の世代へと繋いできました。オーディオガイドで辿るのは、御花の歴史を語るのに欠かせない立花家の5人の物語です。この文化財にたたずみ、この物語を聴いて「あなた自身が100年後に繋ぎたいもの」を考えていただく時間を過ごしていただきたいと思っています。ぜひ柔らかな風が吹き抜ける御花の大広間で、想いを巡らせてみてください。

オーディオガイド:100年後に繋ぎたいもの